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コルホーン (DD-801) : ミニ英和和英辞書
コルホーン (DD-801)[でぃー]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

コルホーン (DD-801) : ウィキペディア日本語版
コルホーン (DD-801)[でぃー]

コルホーン (USS Colhoun, DD-801) は、アメリカ海軍駆逐艦フレッチャー級駆逐艦の一隻。艦名はエドマンド・コルホーン海軍少将に因む。その名を持つ艦としては2隻目。
==艦歴==
コルホーンは1943年8月3日にワシントン州シアトルトッド・パシフィック造船所で起工した。1944年4月10日にK・K・ジョンソン大尉(陸軍婦人部隊)によって命名、進水し、1944年7月8日に艦長G・R・ウィルソン中佐の指揮下就役した。
1944年10月10日に真珠湾に到着、訓練および偵察任務に従事する。1945年2月19日、硫黄島沖に到着し、コルホーンは輸送船の護衛としてレーダーピケット任務、硫黄島への支援砲撃を担当した。3月1日、沿岸砲台からの砲撃が命中し、1名が死亡、16名が負傷した。サイパンでの修理後、コルホーンは沖縄に向けて出航し、3月31日に到着、レーダーピケット任務に就く。
沖縄戦最中の1945年4月6日、15:30にコルホーンはブッシュ (''USS Bush, DD-529'') からの支援要請を受け取り、現場へ急行する。損傷を受けたブッシュと特攻機の間に対して砲撃を行い、コルホーンは三機を撃墜したが、特攻機は40mm砲座に突入し弾薬庫後部に爆弾を投下、爆発した。動力を保持したまま緊急操舵を行い、コルホーンは次の3機の攻撃に対して備え、最初の2機を撃墜したものの3機目が右舷に突入した。
特攻機からの爆弾が爆発した。竜骨が破壊され両方の機関を貫通し、水線下に穴が開き油と電気系統からの火災が生じた。残された砲は手動で操作された。乗組員は新たな攻撃に直面し3機の内1機を撃墜、もう1機を破壊したが、3機目が艦の後部に突入した。この機の爆弾は艦の外に弾んで爆発したが、船体にはさらなる穴が開き、浸水が激しくなった。コルホーンの乗組員は浮力を保とうと努力したものの、最後の特攻機が炎上する艦橋に突入した。18:00、LCS-48 が基幹要員を除く乗組員を救助し、コルホーンを沖縄に曳航しようとしたが、艦の傾斜は激しく、大量の浸水と火災のため放棄が決定され、北緯 27° 16'、東経127°48' でカッシン・ヤング (''USS Cassin Young, DD-793'') の砲撃により海没処分された。コルホーンの乗組員は32名が戦死し23名が負傷、そのうち2名がその後死亡した。
コルホーンは第二次世界大戦の戦功で1個の従軍星章を受章した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「コルホーン (DD-801)」の詳細全文を読む




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